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人の盗聴とテクノロジー

盗聴電波を傍受することは、法に全く触れはしない盗聴天国日本では、盗聴オタクが2万円ほどのトランシーバー型ラジオを持っているだけで、壁の向こうの人の声を聞くことができる。それも一昔前の悪趣味な娯楽の問題でしかなかったが、2017年の現状ではプライバシーだけでなくアイデンティティに深刻に関係してしまっている非常事態が、ビルの中でも集合住宅の内外でも蔓延している。



その原因となるものは何か、権威による実利性のアスペクトでいうなら科学機技術の高速の発展、人の実存を蔑ろにする倫理の欠如という面では、データーが幾何級数的に増大していく情報革命であろう。便利な道具で社会に蔓延る時事から人の暮らしの様相まで、全く法を犯さずに見ることができるインターネットに、厳格な法を忘れてしまうとき、倫理がなければ人の尊厳は勝手に貶められてしまう。技術の利便性が人が人であることを見誤ってしまうのだ。

その究極こそ、集団ストーカーで行われているテクノロジー犯罪だろう。これらの犯罪の渦中にある人が見をもって体験している「集団」という不特定大多数、おそらく気づいていない方もその文脈に入れるなら、全体といってもいいものが、この犯罪の名辞に与えられた。この「集団」を非人称化すれば「集合」となる。コンピューティングを実行する機会には人称がないので、集団ストーカーにコンピューティング技術が使われているとしたら、この人や街における事象の集合の挙動を統計とその集積で行われていることになろう。

以下はテクノロジー犯罪における統計処理と人工知能に関しての随想である。


監視カメラの顔認証システムというのは、昔と違って警察のパソコン等に載せるものではなくなって、世界規模のサーバーの連動をスーパーコンピュータが行っている。このデータの全体性の中で、標的となった人はマイナンバー等のシリアルだけでなく、監視と統計によって全文明においてのアイデンティティが潰されていくだろう。それくらいデータベース化とハイテクノロジーのコンピューティングはアイデンティティを徹底的に管理できるようになっている。

ニューロコンピューティングというものがある。これは学習型人工知能のシステムの構成に使われる数学モデルであり、簡略化くするとΣの中にf(x)が入っているもので、そのxに全時間的に適用される掛け算の係数と、偏向性を通時的に与え続ける足し算の正負…
最近の投稿

木綿のエベレスト

お酒と煙で火遊び! そんなことないから焼けに妬けたディスプレイと名無しのモニュメントに、映る幻影たちが、ヴァルキリーの硬質でメタリックな光沢のドレスと、三日月のお守り、愛の出産、星空華やぐ妖魔の風に、彼女らの産声が、ガラスの保育器に閉じ込められた赤子の泣き叫び、母の腕と乳を求めて4000年の聖者の白い死後数秒間の行列を仄めかす。命! 絶命した! その真っ黒は、悪戯ものの石柱をボウガンで貫いた真実の唇の、天のHAARP・死・コードの行間、連符、恋愛は初恋と酒瓶の底に沈みこんだ曲線と屈折に結晶化された「永遠」によって、白い閃光に果てない滅びの歌。

歌声たちは弦の振動の白の中に、生きた人、生きてる人、食物連鎖の罪業を、ペンタゴン・オーケストラの儚げなシュレッターにかけた。拷問? それは単に人生108年の話であって、ファンファーレが鳴った死後数秒間の白の除幕後は、ただひたすらに、時間のないフタ月とシジューク日、月はボタンで、日は縫い針、待ち針、糸のフレア、心臓のプロミネンス、青白い眼差しと赤ピンクの宇宙の膜、水風船が、死者のニルヴァーナを守り続けていた。ではなぜ、次の誕生まで全ての愛おしい魂は苦悶し悲鳴を上げ続ける? 生きていた億万の、錆びて感電した可哀想な電車の客や、サーキットの白線を真似て遊ぶ渡り鳥たちや、電線を間違えた友愛思想で手首切り裂くピアノ線にした悪魔どもが、朗らかに痛みを受け入れた筈の死者を、あくまで数千年、数百年、悲しい靴が泣きじゃくるアスファルトの轟音で蹂躙し続けるから。生者は縄を悪魔に見るが、虐げられた死者たちの行進と楽団たちは、踏み外してはゲシュタルトの耳と口が王の道化になり永遠の無になってしまうコンビニの地下牢に神の許すまで数百億年監禁されないように、生前の支配層が自殺者や虐殺された方の死後も妥協せずに仕掛けた大縄とびに、青い炎のアルコールに力をもらい、足元に垣間見える方向不明のありとあらゆる地獄の業火、血と骨を、避けて、目で破壊し、唇で祝福し、その死者たち、次の精液にたどり着くまで、黄色の洞窟のような永劫を掠めるパイプラインを緋色に焼かれ続けるダチョウのごとき神速で突破したとき、悪魔どもにも聖者にも託された次の卵に、柔らかに告知されるだろう!

草花の中で星の尾が霧をばら撒いたとき、ビルの隙間が笛の穴に、屋上とタワーがパイプオルガンになって、宇宙風…

Sirius and Nommo

We see from the earth Sirius, the Dog-star, move in a bit disorder, of which earlier scientists inferred there would be an invisible companion star, whose gravitation might make Sirius move on elliptical orbit in the Universe. Several decades after it, owing to development of science and technology, scientists found the star's companion Sirius B, the Pup, which has mass roughly equal to the Sun though has only the size roughly equal to the Earth, then which has large density and gravity but is invisible to the naked eyes, whose color is white and whose gravitation they verified effects on the orbit of Sirius. This discovery was in 19th century.

By the way, there is an African tribe who have a mythology about Sirius. The Dogons in Mali. The fact that Sirius is an important star for the Dogons is not amazing because that is explained by the prominent brightness of Sirius, but according to French anthropologists, astonishingly, the Dogons knew already the existence of the companion s…

スタンド・アローン・コンプレックス

Wikipedia「攻殻機動隊」より

スタンド・アローン・コンプレックス
「笑い男事件」における一連の社会現象に対して、草薙素子が名付けた造語。作中における電脳技術という新たな情報ネットワークにより、独立した個人が、結果的に集団的総意に基づく行動を見せる社会現象を言う。孤立した個人(スタンドアローン)でありながらも全体として集団的な行動(コンプレックス)をとることからこう呼ばれる。これは個人が電脳を介してネットを通じ不特定多数と情報を共有することにより、無意識下で意識が並列化されながらゆるやかな全体の総意を形成し、またその全体の総意が個人を規定するために発生するという、高度ネットワーク社会が舞台であるが故に起こり得る現象である。
時にはある事件において実質的な真犯人が存在しない状態が、全体の総意において架空の犯人像を生み出し、その架空の犯人像の模倣者(模倣犯)がその総意を強化・達成するような行動を見せるという独特の社会現象が起こる。
作中では、電脳から直接的に無線ネットワークを介して瞬時に情報交換をすることが可能となっており、特定の個人(笑い男やクゼなど)が見聞きし知り得た情報でも、それを公開することで、瞬時にあらゆる人がその情報を共有出来るようになっている。その結果、知識の程度や思想の傾向が同水準である人間達による集合体が形成される。これがオリジナル(先導者)を喪失した個人(孤立した個)の集合体であるが、『2nd GIG』ではハブ電脳[注 2]を獲得してより組織化するに至る。

-------------引用終わり

集団ストーカーにおいては、このスタンド・アローン・コンプレックスというものが、事実として組織的な追跡と嫌がらせの場、及びテクノロジー犯罪のデータベースにおいて起こっている。これが起こる要因となっているものが、噂による不特定多数の人の心理の挙動と、思考盗聴された場合にはデータベースおよびデータ送信網によって起こっている。

たとえば私は中学の時から成績がかなりよくて、英語や理科の偏差値は80を超えていたし、体育や美術などもよくできる方であったので、劣等感というのは滅多に感じるものではなく、周りが私に対して劣等感を持つことが多く悩んでいたものであるが、集団ストーカーが始まってから、「劣等感」という囁きの言葉や、劣等感を連想させる言葉が大量に、通りすがりの囁き…

Loveless

これを超えるシューゲイザーは現れ得ない。神がかっている。大袈裟かもしれないがそれほどの衝撃を受けた。シューゲイザーのバンドをいくつか聴いてきたけれど、やはりなんだかかんだこの金字塔が突き抜けていて、もはや浮世離れしている。

押し込まれたスタジオに篭りきってレコード会社へ音も音沙汰もよこさずに過ごしたMy Bloddy Valentineのメンバーたち。彼らはこのアルバムを作るとき不幸な境遇にあって音作りを楽しめなかったらしいが、外界から隔絶された子宮の中で年月をかけて生み落とれた奇跡の音は、この世のものとは思えない。

歪んだ轟音ギターと色んなエフェクトを通したギターが何本もあって、普通だったら下手にそんなことすると電車の騒音のようなノイズでしかなくなるのに、ノイジーでありながらも不快な騒々しさなんて全くない。本能を刺激する攻撃的な轟音ではなく、魅惑的に残像を残しながら漂うような音。歪ませられながらも薄く淡く意匠を凝らされつくられたギターの音と、男女混声の神秘感ただよう甘くて脱力的なコーラスは、まるで世界を諦観した静かな美神が戯れに織るヴェールのよう。美しいヴェールが幾層にも重なり合い溶け合うように、空間は色んな色調の音像が漂って交錯して幾層にも重なって埋めつくされ、不思議な調和をなし、最終的にはジャケット通りの色の耽美な雰囲気とギターの残像感が、アルバムを通して一貫して溢れるように漂う。甘美だけれど生のある世界ではないような危うさ。浮世離れした熱感が、オレンジ色の大気圏を漂い、寧ろピンク色の中で燃え尽きそうな、臨死。

和音の土台に乗ったメロディーという一般的なメロディの印象ではなく、その天国のような音像空間から浮かび上がってくるようなリードボーカルのメロディは、ポップなキャッチーさを供えながらも甘く気だるく中性的で、捕まえないと消えてしまいそうな儚さ。そしてメロディを捕まえないと死んでしまいそうな臨死の世界。一曲目のイントロから現実世界が捻じ曲げられ浮遊感が襲ってきて、やがて現実からの離脱感、向こうへ逝けます。

こういう音を志向するならバンド音楽でなくとも、と思うかもしれないが、シンセサイザーやコンピュータを多用したエレクトロニカやアンビエントではつくれないほどにまで逝った音の空間を、バンドの音、ギターとエフェクター、ノイズの可能性を最大限に発揮した音でつくりあげ…

ゲームにおける実世界の深層意識の表面化

ゲームクリエイターは漫画やアニメや芸術や神話などもちろん他のゲーム、創作物や神話などから感性体験として色々な感覚や情緒を受け取り、影響され、それぞれのクリエイターがそれぞれの感性や価値観を築いていく。キャラクターデザインの人は漫画や小説のなかの人格像から影響を受けそれをモチーフにする。サウンドクリエイターはジャンル関係なしに音楽をたくさん聴いたその集積で養われた音楽的感性で音を作り、コンセプトやデザインを意識して音をつくる。コンセプトを担当する人はアニメや神話などから世界観や雰囲気の影響をうける、またコンセプト担当の中でもトップにいる人は創作物だけでなく現在の世の中の実際的な様子を幅広く洞察している。とにかく、どんなアート系のクリエイターも多岐に渡るジャンルの感性を吸収し、その昇華物をそれぞれのクリエイターの結束によりそれら感性の結実としてゲームが創られる。これは当たり前の事ではある。

しかしそれはアート系のクリエイターだけでなく、ソフトウェア内部のシステムを構築するエンジニアも、システム構想やゲーム内容をソフトウェアの動作へと翻訳する、つまりコード化するプログラマも、同様にいえることである。テレビ画面やモニターに映るキャラであったり風景であったりするのがソフトウェアの五感レベルであるとすると、システムは概念レベル、プログラムコードは論理レベルといえるだろう。システムエンジニアはそのシステムの階層、具体的にはプレイヤーが扱うところのゲームシーステムや、そのシステムを構築するためのシステムやアルゴリズムをつくるのだが、それを実現するためのものとしてのシステム感覚も、他のソフトウェアや世の中のシステムに影響され形成されていく。

論理レベルを構成するコードというのについては、ハードウェアやOSなどによって違うが、だいたいプログラムを知らない人にとっては意味不明に近いアルファベットや数字の羅列であるのだが、そのコードにはプログラマにとっては行の配置やアルゴリズムの構造の整然や審美を見いだせるものであり、意外に感性や感覚に訴えかけるものである。個々の部品となるブログラムも各々の概念が理論で結びついたものであり、その結びつき方の論理性にも機能性があり、それが一種のアートなっていることもある。これはプログラマにとってはおそらく当然すぎることだが、さらにコードの中の表現「int …

詩2012

無機物

視界が鱗で満たされる 眼に映るもの全て 意味もなく憎い 光も鱗を清めない
脳内を蛆が這い回る 心に巡るもの全て 意味もなく憎い 光が核に届かない
心の影が悪寒を生んで 全身全霊 気持ち悪い 忌々しい幻覚の渦 頭蓋骨が 割れそうだ  地面に踊る鱗達 何もかもが生き物で 生臭くて湿っている 純粋な光が欲しい
光を浴びたものは 影を生み その影に呪われる 憎しみと恐怖で満たされて 心臓にヒルが蠢き回る どうしようもなく苦しいから 私は無機質になりたい
あの硝子のように 冷たくて透明で 虹色に光を透す あの硝子のような 私は無機物になりたい 人に砕かれ粉々になり 肌を切り裂き血を浴びて 飛沫の中で赤く染まり 綺麗な音を響かせて 光に抱かれて煌きながら 何も感じず物理的に 虹と共に消えて逝けたら なんて幸せなんでしょう
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 味


散乱した空き瓶 そのガラス光に嘲われ
自堕落の味に酔い痴れて 明日を汚して得るものは
ひと時の空笑と 永年の偏頭痛
太陽が 堕ちていく 明日は来ないでほしい
その願いなが虚しく響き 全てが 堕ちていく
……脳に突き刺さるガラス片 焼酎の味

幻覚色の幸福 その光と熱に慰んで
魔法に騙され快楽を得て 命に火をつけ得るものは
ひと時の炎と 永年の罪悪感
黒い夜が 空を覆って 魔女の笑顔が燃える
その子宮に幽閉され 心が 黒に染まる
……全てを吸い込む黒い熱 ブランデーの味

赤く染みたコルク その長い記憶を羨んで
強い芳香に 幻想は赤み グラスに注いで 得るものは
ひと時の楽園と 永年の依存症
白い月が 夢に滲んで 赤い花が咲き乱れる
その幻は脈を打ち 意識は 夢に迷う

……血に注がれた赤い夢 ワインの味


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 電線

都会の線路では、恋に敗れた哀れな女が半分死んで涙を流しながら、ミシンを打っている。作業員は釣りでもするかのように呑気に。線路ができる、縫い目には、世間ズレした女の面倒見の良い思いやり、そして長年の知恵を蓄えたお婆さん、そういう人の心情が走る。電車が走ったら、きっと何処かで仕事に失敗した無様な男の辛みも一緒に並行に、電気の流れと、風を着る音とともに、走り続けるのだろう。ある一介の働き者の女神がそれをみて、こころもとなくすすり泣き、その涙の奇跡が新しい線路を、道路をつくり、電信柱になった廃人の男がずっと、硬直した眼差しでそれを見て、悪戯好き…

評論 小説と漫画

小説-------------------------------------------
『そして誰もいなくなった』 アガサ・クリスティ
『蛇にピアス』 金沢ひとみ
『闇の奥』 コンラッド
『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』 村上春樹
『月と六ペンス』 サマーセット・モーム
漫画---------------------------------------------
『うる星やつら』
『蟲師』
『北斗の拳』
『ベルセルク』
『王ドロボウJING』/『KING OF BANDIT JING』
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評価:max5  ★=1  +=0.5
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◆そして誰もいなくなった ★★★★

孤島の洋館に何人か招待されて、一人づつ童謡の歌詞に見立てられ次々と……

推理小説としての面白さはもちろんのこと、とにかく人物描写が秀逸。最初の20数ページで招待される各登場人物を数ページずつつかって素描されているのだが、神業といえるほど軽やかに鮮やかに各々の人物像が描かれていて、話だけでなく人物に対しても関心を強く促される。それぞれ全く別種の人物たち、しかし招待されるためのある条件を共有している人物達が、洋館で次々おこる事件に騒然となるのだが、そこでのやりとりの人間的描写も素晴らしい。

人物描写だけでなく、童謡に見立てられた事件の起こる孤島の洋館の雰囲気も、ゴシックホラーを思わせるほど上手く表現されている。とにかく文章が上手い。サスペンスや推理小説のファン以外でも十分楽しめる小説。


◆蛇にピアス ★★

数人しか登場人物のいないシンプルさ、必要最低限の言葉で、描きたい世界をしっかり描いてるなと思った。人体改造、暴力性、逸脱した性嗜好、サディスト、普通の人が体験する街の喧騒とはまた別のところにある街の不穏な病巣、そういうマイノリティのきつい世界にすんなり導いてくれる上手な小説で、一気にすぐ読ませてくれた。でも、一人称で語る主人公の心理的な叙述が言葉足らずで、心情の脈絡が不明瞭、取り巻く世界が主人公の心を素通りしてる印象。ただ、一人称の本人を、虚構小説ながらにリアルな女性だと想定すると、自分の色々な…

FF11の思い出1

(c)SQUARE ENIX
FF11公式サイト http://www.playonline.com/ff11/index.shtml

FF11は、プレイヤーとの強力プレイもとても面白かったのですが、ストーリーもかなり感動的でした。特にストーリー重視なのが、3枚目のリリース『アトルガンの秘宝』。オーディンとアレキサンダーのゲーム内の神話がとてもよく、実在の神話のオーディンを強く彷彿とさせるものがありました。また、ヒロインのナシュメラも優しく気丈な心でアトルガン地方を統治するところが、素晴らしいです。サービス終了までに1度はまた、ストーリーの方をやろうと思っています。

魚と彼と下半身

(2007年著作 2015年少し改変)

 私は水槽で二匹の魚を飼っている。何ヶ月か前、数年付き合っていた彼とも別れ、独身で安いマンションの一室で一人暮らしをしている私にとって、ペットというのはこの三十路の近づいた言いようのない孤独感の慰めになる存在。癒しと愉しみ、……そして支配欲の充足。猫も一匹飼っているのだけれど、水槽で飼っている2匹の魚の中の大きい方の魚の方が、なぜか猫より気になってしまう。暖かい哺乳類より、冷たい魚類の方が気になっている、それは私の孤独が行くとこまで行ってしまったことを暗示しているのかもしれない。とにかく大きな魚の方ばかり意識が奪われるのだ。愛している、可愛がっているのは、どちらかといえばやはり、ふわふわした毛の長い白い猫の方かもしれない。でも、この魚のほうが、どうしても気になり、家にいて起きている時間の半分くらいは、この魚を眺めているのだ。丁度腰骨くらいの高さの台の上においた120センチの水槽で、最低限以上にはある程度きれいな環境、ポンプにより水中の酸素だけでなく水流までつくり、淡水に水草が彩られている私の心の水中箱庭空間……、そこで飼っている40センチくらいのこの魚の、尾鰭は、かなり大きくて体長の四分の一を占めていて、その10センチくらいの尾びれには、古代エジプトか何処かにあった象形文字のような模様がある。この魚を眺めていると、不思議なことがよく起こる。正確にいうと未だれっきとした事件として起こったことはないのだけど、何かが起こりそうな漠然としたでも強い直感を伴う予感がするのだ。それに、白昼夢を見ているときか今から眠ろうとしているときの夢と覚醒の間にあるような意識によく迷い込み、不思議な印象がまるで外からたぶんこの魚からこちらの脳髄へ侵入してくるような感覚も、この魚を眺めているときによく起こる。
 そして何より不可思議なのが、この魚を眺めていると、何故か一緒に飼っている一回り小さい魚の顔が視界にない筈なのにアップで目の前に見えたりすること。他にも、水の中にいるような水流が肌を打つような印象がしたり、エアーポンプの音が耳元すぐ近くで聞こえたり、水草が肌に触れる感覚がしたり。

 今日は、さっきからご飯も食べずに5時間くらい私は、一人でほとんど冥想しながら……このエジプト的な魚を眺めている。なんて痛い女……。今はたぶん午後の9時くらいだろう。た…

詩2015

猫の生首のような


ガードレールの傷だって 助手席人形の涙腺
さあ 踏切で切り殺そう あの宗教の虚妄と街風の廻覧を
二色しかない信号になんて スピーカーの穴ほどの意味
では 音を捜索しよう その刃物の錬成と金網の幾何学で

公園では鳩の代わりにカラスがいて
ベンチでタバコを吸うヤンキー
滑り台で虚空を見るアルツハイマー
公園では看板が神々の歌を絞殺する

虫歯と実験をすり減らせる ガラスの中の狂言場
罪と策謀と戯れつづける 線形幾何のシナプス間隙

アルコールとニガヨモギとホルマリン
完成するのはいつですか そこは光のないネオンサイン
人懐っこい猫の扉を 指し抜く生首の幻像


死刑台の錆だって 被害者たちのバイブル
さあ ギロチンで縫ってこう あのハッカーの2進数と工場の罪悪を
二色しかない風景になんて 白血球ふたつほどの意味
では 蟻を踏み殺そう その淫らな炭素と悍ましい星屑で

黄昏たのは街並みに飽きた山の通信塔の吐息
地面 地層 地盤 地脈 沈下
蹴り飛ばす骸骨に飽きたネット工作員の虚無
電波 電気 電場 電子 窒息

空気とドットを貫き続ける 目に刺さった五寸釘
罪と策略を刈り取り続ける 向こうにある収穫鎌

慈悲心と共感覚と罪悪感
滅殺するのはもうすぐです ここは嘘のないMRI
工事の良心のタガを 指し抜く生首の実像

歩道では子供の代わりに着ぐるみさん
床石にしきつまった偽の罪
サイレンに透過する奇形の血
歩道では標識が聖者の半目を冒涜する

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 弦殺ワーグナー


時計仕掛けの憂愁で 架空の国の亡骸を
魔法まがいの轟音で 戦火の煙で凱旋を

火の幻の戯れに 帝国雄大 文明消滅

そんな優雅な 魔の奇術 宿る繊維を 六星で
殺害 殺害 案山子断頭
ゆらぐ天稟 死の指揮者 笑う亡霊 六弦で
殺害 殺害 幻影切断


Irony

The funny thing about humor and laughter is that there is always an element of cruelty..this is what I call irony.

For example, in literature works written by Somerset Maugham, descriptions concerning this matter appeared frequently...His cruelly cynical and ironical descriptions or explanation, about humor and cynicall laughter in human relationships, teach us things of humanity universally. Bargaining of Laughter and Irony, I think, is one of the essential matters of human mentality and communication.Toward something, which to laugh or to be ironical, or to laugh superficially and to be ironical simultaneously in mind, that is delicate and vary meaningful issue...and difficult to argue, maybe needing philosophical exactness and mental sensitivity...summing to say, ethics.

If there is joyful things about this matter, which we will regard wit, that is Society.

ギリシャ神話とキリスト教の古今

ギリシャ神話が生まれた古代ギリシャは、民主制の起源であり、奴隷が4割いたものの、貴族以外も含めて多くの人が市民として自由に物を考え発言する権利があり、物質的にも思想的にも豊かな風潮が見られたのだが、その豊かさとその国における宗教性とは関係がないだろうか。地中海のほどよく乾燥した温暖な果実のよく実る国、民主制のポリス群で生まれたのがギリシャ神話である。ギリシャ神話には豊かな人間観が実っていて、まるで神々が世界を愛と美を讃える心を以って謳歌しているような空気がある。

一方、ユダヤ教やキリスト教の起源である紀元前のヘブライ人たちというのは、政治的にも気候的にも全く真逆な環境にあった。モーセのころはエジプトの奴隷であり、アブラハムまで辿っても自分の安住地を持たない砂漠の流浪の民であった。その酷く乾燥した気候とそこでの流浪の生活や、民族をとりまく厳しい政治的環境が、あのエホバという深刻な、決して世界を謳歌してるとはいえない、世界に悩み怒り天罰を下す神を生み出したのだろう。イエスの出現で、神の過剰な男性的側面が緩和され愛の神になったものの、根本的な唯一神という性格は不変であり、イエスが過ごした時代もローマからの弾圧の最中にあったことから、神や宗教性の深刻な悩みに関する側面は変わっていない。人々は神々のように世界を愛したい謳歌したいという願望よりも、唯一神に愛されたい救われたいという願望の方がずっと強い心理的傾向にあったのだろう。

ところでギリシャは滅びローマ帝国というギリシャのポリスの豊かな営みとペルシャやバビロニアの強い王制が組み合わさったような国ができたのだが、その豊かな気候の地中海を中心としたローマ帝国が、途中から、砂漠生まれのキリスト教を国教としたことには、なにか不可解なものが見える。地中海の貴族や皇帝が動かす国で、大国にも気候にも虐げられた人々によって生まれたキリスト教が信仰される。しかしよく考えると皇帝や貴族が栄える国というのは下の階級が虐げられた生活をするものだ。そういう身分の低い人がキリスト教に救いを求めたのかもしれない。しかし、結局は大国の国教としてキリスト教を利用して国民を統制していたのがローマ帝国の実情であり、そこには開祖や使徒の意図そしてその宗教の本質とは反する心理的な情勢がたくさん見られるし、やはり恵まれた気候の大国におけるキリスト教というのは起源を…

生きる意志

心と地球

 情感豊かな自然科学者や博学な詩人(たとえばゲーテや宮沢賢治)の心のなかには、一個の地球がある。

 たとえば彼が心地よさを感じると、すぐにそれは肌を打つそよ風の感触に喩えられる。そして風がどんな仕組みで吹いているのか、その原理がすぐに彼の心の裡に想起される。

 太陽の熱で海が蒸発して上昇気流が出来て、そこでは気圧が下がり、大陸のところでは相対的に気圧が高くなる。水分を含んだ上昇気流ははるか上空へ達すると、気温とともに空気の飽和水蒸気量も下がるので水滴となり、それが集まって雲となる。下からまだまだ上昇気流がくるので、雲を纏った上空の大気は、他のところ、つまり気圧の高いところへ移動する。海抜近くでは逆に、気圧の高いところから低いところへ、風が吹く。地球の大気の対流。彼は風を想起しただけでぱっとこういう様を思い描き、雨が降る仕組み、雨や風によって大地が風化して地形が出来ていく仕組みなど、そのほか色々な地球の現象を思い描くかもしれない。

 彼は風を想起するだけでなく、リアルに現象させるのであり、しかもその現象の仕組みを地球全体の関連の中で理解しているので、他の色々な自然現象も同時に彼の心の中にリアルに現象する。彼の情感が豊かな場合、色々な自然現象が彼の心の中で起こっているうちに、別の感情を、あるいはその感情に関連する記憶を、思い浮かべたりする。

 地震や噴火は怒りの隠喩となり、低気圧や湿気や雨雲は憂鬱な気分を表現する。過去の恋人は、月を映す夜の湖、その深くを独りで泳ぐ魚のように、静かに心の中を泳いでいる。無数の植物を生やした一個の山の光合成のように豊かな深呼吸をしながら、空想は風のように自由に飛びまわって、その風に葉っぱが揺れて森がざわめくかのように、漠然とした歌ができる。あるいは雨が長く降らないで水分が不足して生気を失っていく森のように、その印象の戯れの歌声はだんだん枯れてくるかもしれない。しかし突然、インスピレーションの雷が天を裂いて発光する。轟音とともに激情の嵐がやってきて、その勢いで新しい作品の荒削りな草稿を完成させる。森は多少被害を受けたものの、久しぶりの雨だったので動植物はその恵みによって豊かな活動を開始するかのように、作品を彫啄する。

 自分の記憶や感情と色々な自然現象が密接に結びついているので、あらゆる精神活動が自然の生気を帯び、豊かな研究や芸術…

アニミズムとシャーマニズム

アニミズムとは、生物非生物、有機物無機物とわず、あらゆるものに精神や心といった言葉で表される何かが宿っているという思想である。シャーマニズムは思想の一形態というより、行為といったほうがいいだろう。そしてこの思想と行為という次元の違いが、まさにアニミズムとシャーマニズムにおいて行われてる心的現象の次元の違いの一つに帰結することになろう。ところで、シャーマニズムという行為は何か。シャーマンたちが実際に天候を変えたり、人間社会といっても土族であるが、その土族共同体の在り方を変えるということを、物理的接触や言語などの媒体をなしに神秘体験によって実行することである。アニミズムがあらゆる物質に精神を宿っているとみなす思想であると述べたが、シャーマンは、その物質に宿った精神を動かすことでその物質を動かすことによって、シャーマニズムを実現するのだ。しかし自分の人体や身近な人の身体以外の精神を体験し、さらにそれを言語や肉体的接触を遣わずに動かすというのは、やはり神がかりの技である。事実として歴史的に、古代ユーラシアではシャーマンが、古代ギリシャでは哲学者が、古代西アジアではユダヤの聖者たちが、人の病を治し、天候を変えたりしてきた。

ではなぜシャーマンたちはそのようなことができるのか。それは、アニミズムでいうあらゆるものに宿った精神というのを遡れば、神秘主義者がよく唱えている「根源的一者」にたどり着くからであり、シャーマンはその根源的一者、いわば宇宙の霊格と一体化するのである。ただ一体化することであれば、単なる壮絶な幻視体験であり、凡庸な宗教家や神秘家が茶飯事におこなっているし自分もそうであり、それは単にアニミズムの境地であるのだが、その宇宙の「霊格を動かす」とはいったいどういうことなのか。これは大きな謎であるが研究する価値はあるだろう。そして何も研究機関にも属していないし実地調査もできない自分は事実レベルの研究はできないのだが、有る程度の直観認識は持っているし、体験として、物質を魔法のように変形させた経験は一度しかないのだが、人の心は手にとるようにわかり口ではよくマインドコントロールしてしまう癖がある。

この人の心がわかるというのは、まだアニミズムの思想の体験とそこから導かれる根源的一者との合一とさらにそこから表面へ浮上した相手の心の体験という、根源的一者経由での主客合一が起こっ…

自作曲2

物理学の虚構性と数学の絶対性について

ショーペンハウアーは、あらゆる概念や言語、それも時間や空間なども含めて、それらが、形而上学の扱う人間の認識の届きえない混沌とした意志としての世界に対して、人間が日常生活の便宜のため、あるいはもっというと生存のために、かぶせたフィクションにすぎないと看破した。というかこんなこと5歳かそこらの自分もとっくに看破していたことで、むしろ年齢が幼ければ幼いほど勘付くことであろう。時間とは一体なにか? 空間とは一体なにか? 命があるということとは一体なんなのか? そういう問いは、大人よりもむしろ幼児のほうが圧倒的に頻繁に、それがたとえ言語としての問いでなくとも、問いかける頻度が高いのではなかろうか。そしてそれを教えてくれるのは大人でもなく科学でもなく、ショーペンハウアー級の達観に達した哲学者や宗教家なのである。なぜ科学が時間とは何かを教えてくれないか、それは科学が根本的には誤謬の上にしか成り立ち得ない、つまり上記の意志としての世界あるいはカントのいう物自体に対して科学は全くの無力であり、混沌とした認識の届かないものの上に、人工的に創った概念を公理や前提として、その上にたって初めて科学がやっと成り立ちうるのである。つまり科学は全て誤謬である。

ホパーという科学論者は、反証できるものしか科学たりえないと定義したが、それはホパーは経験と知識と理論によってそういう結論に至ったのであるが、こんなことは5歳児でも直観認識であたりまえに思っていることなのである。そしてそれは科学のもっとも根本的な分野、つまり物理学においても同じことであり、物理学の中でも中高生の習うニュートンの力学体系などは、ニュートンが勝手に定義した「絶対空間」「絶対時間」などといったもちろん彼もそれは誤謬だと気づいているであろうあくまで人工概念を公理とした上に、はじめて体系を成しているのである。その絶対空間などの人工概念は後にカントとショーペンハウアーなどによって痛烈に批判され、二人とも空間や時間はニュートンのいうような前人間的に絶対的に存在しているものではなく、あくまで人間の直観形式の一つにすぎない、とした。そして真実はニュートンではなくカントやショーペンハウアーのほうにあるだろう。そして20世紀までまつとアインシュタインが哲学としてでなく物理学としてニュートンの体系は大まかな近似にすぎず微小や極大においては古典力学は…

『ドロシーの占い玉』草稿

これはあと2年くらいで完成すると思う。 400~500ページになるかな~。 瀕死の病棟の中、少しづつ書き溜めていました。 一部だけ載せてみます。
ロンド 黒い蛇の首輪をした犬 ドロシー アメジストの首輪をした猫 カプリス アルチュール・ランボーをモデルにしてます ラメント ドロシーの飼い主 美少年
著作権はネット公開の時点で要りませんがコピペして自分のもの化だけはやめて><

「僕にはなぜお父さんがいないの?」  東洋と西洋を結ぶ大陸の内陸部、その北方にある冷たい風の吹き荒れる広大な針葉樹の森、その中心に位置する大きな山の山頂近く、頂上の大岩がやっと見えるようになったというところまで登ってきた親子の狼。母親狼は雪のように真っ白、子供の狼は黒めの茶色や灰色から白にかけての褐色。二人の両側には林立した無数の針葉樹とその間に鬱蒼と茂る雑草の藪がありましたが、二人が歩いているのは数少ない人間の登山客用に開かれた険しい道でした。時間は真夜中。満月の光に青白く照らされた立派な毛並みと深い顔立ちの大きな母親狼、彼女に連れられたまだ1歳に満たない小さな狼が不安げな鳴き声で言ったのです。ずっと優しさと厳しさを兼ね備えた母の大きな背中を見て育ってきた彼の、今までずっとずっと気になっていたのだけれどいつもあと一歩のところで口に出すことのできなかった想い。きっと山頂の大岩の向こうに見える満月が彼の口を開かせたのでしょう。太古の時代から神聖な獣として崇められてきた狼たちは、言葉はもたずとも、鳴き声、表情、仕草で、お互いの心を通わせることに長けていました。白狼はすぐに答えました。 「お父さんは私がおまえを身篭っているときに姿を消した」  落ち着いた低い声で、体の方はまったく歩くペースも変えずに。でも斜め後ろの息子には見えていないその白く美しい凛とした顔には、どこから来るのかさえ分からないような大きな悲しみが深く刻まれていて、それは月光に照らされてさらに浮き彫りになっています。その真実の光が生んだ悲しい陰影を直接見ることのできない位置にいるはずの小さな狼はしかし、母親の答えに言いようのない悲しみを感じて一瞬立ち止まりました。大きな狼はそれに気づいていましたが止まらずに歩き続けます。取り残されそうになった狼は我に帰って急いで追いかけました。  山頂に近づくに連れて木の背丈は低くなり、本数も疎…

ベクトルの微積について

高2の時、数学の授業ではじめて微分積分法を習ったとき、衝撃を受けた。自分は全体的に代数計算はあまり得意ではなく幾何や物理が好きだったのだけど、微積を習ったときにはじめて、数学が本当に素晴らしい驚くべき学問だということを知って、感動した。でも微分積分の計算問題を解くのは大嫌いで、授業はほとんど聞いていなくて、寝たりしながら、微分積分の観念がもっている意味や性質について、思い巡らせるのが好きだった。それで、ある程度計算とかできるようになると、早速、物理の力学や熱学や電磁気学に応用したりしてみた。物理については、それまで個々ばらばらに公式を教えられていて、なんとなく学校の物理の教え方には納得し難い点が多かったのだけど、微積を物理に応用したとき、物理学がこれほどまで美しい体系なんだということを強く実感した。

そもそも、微積とは、動性や連続性を表現している。ある点が時間軸に沿って平面座標を動いていく様、あるいはある面が時間軸に沿って空間座標を動いていく様などが、積分の式に描かれているのである。とにかく高校の時、微分積分について色々なことを考えた。たとえば、xy軸があって、そこに描かれているたとえば曲線Cが、y=a・x・x(aかけるxの二乗。以下、「・」は「かける」の意。)という風に表現されていたとすると、これは、xy座標の空間からみた曲線Cの表現である。Cは「既に」描かれてしまっている。「時間」は死んでいる。ところで、この曲線Cのほかの表現がある。定数aと変数xを使っての方向ベクトル(=dy/dx)を表現し、それを時間軸にそってある点から動かしていき、そのy座標をみる表現方法である。たとえば、方向ベクトルをvベクトルとして、vベクトル=dy/dxとすると(dは微小区間)、y=a・x・xの両辺をxで微分するとdy/dx=2・a・xだから、vベクトル=2・a・xである。この方向ベクトルは、言い換えれば、xの変化に対するyの変化率なのだから、ある時間の間にxが動くと、どれだけyが動くのかを示している。時間軸tを考え、時間がtのときのdy/dxすなわちvベクトルをvベクトル(t)とすると、曲線Cを時間的に表現すると、y=∫vベクトル(t)dt(vベクトル(t)=2・a・t)となる。これが曲線Cの第二の表現である。(高校では、こういう教え方をせず、ただ公式を記号として教…

メタファー的世界観

18か19のときの。(半角カタカナうざくてすいません。あのころ半角のウザさ知らんかったもんで。訂正ちょっとめんどくて……)
  冬のある日、幼い子供が、降ってくる雪をみて、雪を「ちょうちょ」と表現したとしたら、これは一種のメタファーといえる。   具体的な個々の雪と、抽象的な概念や記号としての雪をわけてみる。   フローベルは弟子のモーパッサンに「世界には一つとして同じ木、同じ石はない」と教えたのだけれど、それと同じように、 具体的な個々の雪は、大きさも、色も、それを構成する結晶の形も光の反射の具合も、他の個々の雪とは同じものはない。その全て違うたくさんの個々の雪の類似点を、人間が見つけていくことで、類似のあるいは共通の性質だけが抽象されて、細かい相違点は切り捨てられ、一般的抽象概念としての雪ができる。 前人間的に雪という抽象概念があって二次的に個々の雪があるのではなく、たくさんの個々の雪をたくさん人間が見て知ることによって、人間は個々の雪を抽象しながら雪に対しての、ニーチェ的に言えば一般的な遠近法を‘創出し’、そうやってはじめて抽象概念としての雪ができあがる。子供が、ある雪を「ちょうちょ」と表現するときも、原理的にはまったく同じようなことがおこっている。
「多種多様な物事の中から、類似している点をとりあげ、類似していない点を捨てることによって概念がしだいに形成されて来るかぎり、比喩がその基盤になっている。」(ショーペンハウアー)
  つまり、雪と蝶の性質の類似点(例えば、宙を舞うものという性質)を、子供が見つけ出し、雪のことを蝶と表現した。これは子供がつくった一つの遠近法、解釈法。この場合の過程では「その子供が見た雪」と「蝶」という‘二つの’ものの類似点が見つけ出されて子供は雪を蝶と表現したことになる。抽象的な概念としての雪は、‘大量の’個々の雪の類似点が探され相違点が捨てられて、ニーチェ的にいうと遠近法として、出来上がる。原理的には同じ。 雪のような物的なものに関してでなくても一般的に認識や感覚や心理に関しての概念も同じく、このようなことがいえる。悲しみにもいろいろなものがあってどれ一つとして全く同じ悲しみはないけれど、似たような感情を集め抽象していくことによって、「悲しみ」という名詞に統一される。言語というのは、固有名詞でないかぎり一つ以上の概念と対応していているか…

可能性的思考 想定

身の回りで異変が起こっているとき、常識的な思考回路ではままならないことがよくあるが、そういう時に必要なのが、可能性の想定である。



物事の原因や物事がそうある理由などを常識などによって片付けづに、その原因や理由の確定を保留しながら色々な可能的因子と絡ませて思案していくと、ときに誤った因果関係を結ぶということに陥ることがある。つまり常識的な因果関係のパターンで判断を済ませていたらよいものを考えすぎたために、その物事の実際の因果関係の枠外にある事象を無闇に想起して、不必要な関連付けが起こってしまうのだ。

ところが、世の中には、よくありそうな因果関係を相手に提示して思いこますことによって、自分のやったことの本当は別にある如何わしい理由を隠すという騙すための策術がある。そういう場合においては、誤った因果関係の結成に陥りがちな前述の思案、つまり物事同士の因果関係を常識で即断せずに保留し、可能性を多岐にわたりたくさん思案しておくという思考や判断の形式が功を成す場合がある。なぜなら、相手は嘘でよくある因果関係を表現しながら別の理由を抱えているのだから、常識で即断せずに可能的原因をたくさん持っておくほうが、一に相手の表現した嘘の因果関係の枠外に思考を持っていくという意味において、二に可能性をあちこちに張り巡らせておけば相手の本当の理由や思惑につきあたる可能性が高いという意味において、策術の対策になる。

精神医学と精神工学の実態と倫理 エビデンス

精神分析の源流の言葉
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「たった一人の死に何の意味がある? あるとも。なぜなら、殺人は悪しき行いだからだ。」
 ロールシャッハ
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https://www.amazon.co.jp/dp/4876019096

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1945年あたりに戦争が終わりを迎えると同時期に、アメリカ精神医学が隆盛を極めたことは、医学界では常識とされているが、それまでの精神科というものは、アメリカ精神医学が主流となって以降の向精神薬や抗うつ剤を5分の診断で処方し、さながら工場のベルトコンベア上の製品の欠陥かのように患者の心の痛みと不安を扱う方法とは違い、現代でいうとカウンセリングに近いものが主流であって、連想テスト、作業療法、箱庭療法、環境療法、フロイト式の患者との対話を治療の主軸としていた。それでもどうしても治らない場合のみ、20世紀前半はコカインやジアゼパムのような安定剤を処方されていたと精神分析学や精神医療の歴史は語っている。

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★過去記事より薬の話
https://killslowkill.blogspot.jp/2017/06/blog-post.html

■安定剤
GABA系に作用し神経を安定させる。
・デパス(エチゾラム)
神経に作用する薬で最も多く幅広く処方されている薬。GABA系の神経に作用する。GABA系の神経は、気分を落ち着けたり、緊張をほぐしたり、筋肉の緊張もほぐす作動をする。たくさんの精神症状に効き、効果が強すぎず、抗うつ剤と違って即効性があり、安眠作用もあり、処方実績が多く、高齢者にもよく処方されているほど、効果も、副作用の少なさも、実績に裏打ちされている安全で万能な薬。強度の鬱や不安、強迫障害に効くわけではないが、比較的軽い不安や憂鬱にはよく効く。副作用は量が多くなった時軽いふらつきや眠気程度であるが、依存性が高いことが注意点。
・セルシン(ジアゼパム)
デパスよりやや強い不安軽減作用、筋肉の弛緩査用、デパスより強めの副作用。伝統的なスタンダードな薬ではあるが…