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人の盗聴とテクノロジー

盗聴電波を傍受することは、法に全く触れはしない盗聴天国日本では、盗聴オタクが2万円ほどのトランシーバー型ラジオを持っているだけで、壁の向こうの人の声を聞くことができる。それも一昔前の悪趣味な娯楽の問題でしかなかったが、2017年の現状ではプライバシーだけでなくアイデンティティに深刻に関係してしまっている非常事態が、ビルの中でも集合住宅の内外でも蔓延している。



その原因となるものは何か、権威による実利性のアスペクトでいうなら科学機技術の高速の発展、人の実存を蔑ろにする倫理の欠如という面では、データーが幾何級数的に増大していく情報革命であろう。便利な道具で社会に蔓延る時事から人の暮らしの様相まで、全く法を犯さずに見ることができるインターネットに、厳格な法を忘れてしまうとき、倫理がなければ人の尊厳は勝手に貶められてしまう。技術の利便性が人が人であることを見誤ってしまうのだ。

その究極こそ、集団ストーカーで行われているテクノロジー犯罪だろう。これらの犯罪の渦中にある人が見をもって体験している「集団」という不特定大多数、おそらく気づいていない方もその文脈に入れるなら、全体といってもいいものが、この犯罪の名辞に与えられた。この「集団」を非人称化すれば「集合」となる。コンピューティングを実行する機会には人称がないので、集団ストーカーにコンピューティング技術が使われているとしたら、この人や街における事象の集合の挙動を統計とその集積で行われていることになろう。

以下はテクノロジー犯罪における統計処理と人工知能に関しての随想である。


監視カメラの顔認証システムというのは、昔と違って警察のパソコン等に載せるものではなくなって、世界規模のサーバーの連動をスーパーコンピュータが行っている。このデータの全体性の中で、標的となった人はマイナンバー等のシリアルだけでなく、監視と統計によって全文明においてのアイデンティティが潰されていくだろう。それくらいデータベース化とハイテクノロジーのコンピューティングはアイデンティティを徹底的に管理できるようになっている。

ニューロコンピューティングというものがある。これは学習型人工知能のシステムの構成に使われる数学モデルであり、簡略化くするとΣの中にf(x)が入っているもので、そのxに全時間的に適用される掛け算の係数と、偏向性を通時的に与え続ける足し算の正負…
最近の投稿

アニミズムとシャーマニズム

アニミズムとは、生物非生物、有機物無機物とわず、あらゆるものに精神や心といった言葉で表される何かが宿っているという思想である。シャーマニズムは思想の一形態というより、行為といったほうがいいだろう。そしてこの思想と行為という次元の違いが、まさにアニミズムとシャーマニズムにおいて行われてる心的現象の次元の違いの一つに帰結することになろう。ところで、シャーマニズムという行為は何か。シャーマンたちが実際に天候を変えたり、人間社会といっても土族であるが、その土族共同体の在り方を変えるということを、物理的接触や言語などの媒体をなしに神秘体験によって実行することである。アニミズムがあらゆる物質に精神を宿っているとみなす思想であると述べたが、シャーマンは、その物質に宿った精神を動かすことでその物質を動かすことによって、シャーマニズムを実現するのだ。しかし自分の人体や身近な人の身体以外の精神を体験し、さらにそれを言語や肉体的接触を遣わずに動かすというのは、やはり神がかりの技である。事実として歴史的に、古代ユーラシアではシャーマンが、古代ギリシャでは哲学者が、古代西アジアではユダヤの聖者たちが、人の病を治し、天候を変えたりしてきた。

ではなぜシャーマンたちはそのようなことができるのか。それは、アニミズムでいうあらゆるものに宿った精神というのを遡れば、神秘主義者がよく唱えている「根源的一者」にたどり着くからであり、シャーマンはその根源的一者、いわば宇宙の霊格と一体化するのである。ただ一体化することであれば、単なる壮絶な幻視体験であり、凡庸な宗教家や神秘家が茶飯事におこなっているし自分もそうであり、それは単にアニミズムの境地であるのだが、その宇宙の「霊格を動かす」とはいったいどういうことなのか。これは大きな謎であるが研究する価値はあるだろう。そして何も研究機関にも属していないし実地調査もできない自分は事実レベルの研究はできないのだが、有る程度の直観認識は持っているし、体験として、物質を魔法のように変形させた経験は一度しかないのだが、人の心は手にとるようにわかり口ではよくマインドコントロールしてしまう癖がある。

この人の心がわかるというのは、まだアニミズムの思想の体験とそこから導かれる根源的一者との合一とさらにそこから表面へ浮上した相手の心の体験という、根源的一者経由での主客合一が起こっ…

自作曲2

物理学の虚構性と数学の絶対性について

ショーペンハウアーは、あらゆる概念や言語、それも時間や空間なども含めて、それらが、形而上学の扱う人間の認識の届きえない混沌とした意志としての世界に対して、人間が日常生活の便宜のため、あるいはもっというと生存のために、かぶせたフィクションにすぎないと看破した。というかこんなこと5歳かそこらの自分もとっくに看破していたことで、むしろ年齢が幼ければ幼いほど勘付くことであろう。時間とは一体なにか? 空間とは一体なにか? 命があるということとは一体なんなのか? そういう問いは、大人よりもむしろ幼児のほうが圧倒的に頻繁に、それがたとえ言語としての問いでなくとも、問いかける頻度が高いのではなかろうか。そしてそれを教えてくれるのは大人でもなく科学でもなく、ショーペンハウアー級の達観に達した哲学者や宗教家なのである。なぜ科学が時間とは何かを教えてくれないか、それは科学が根本的には誤謬の上にしか成り立ち得ない、つまり上記の意志としての世界あるいはカントのいう物自体に対して科学は全くの無力であり、混沌とした認識の届かないものの上に、人工的に創った概念を公理や前提として、その上にたって初めて科学がやっと成り立ちうるのである。つまり科学は全て誤謬である。

ホパーという科学論者は、反証できるものしか科学たりえないと定義したが、それはホパーは経験と知識と理論によってそういう結論に至ったのであるが、こんなことは5歳児でも直観認識であたりまえに思っていることなのである。そしてそれは科学のもっとも根本的な分野、つまり物理学においても同じことであり、物理学の中でも中高生の習うニュートンの力学体系などは、ニュートンが勝手に定義した「絶対空間」「絶対時間」などといったもちろん彼もそれは誤謬だと気づいているであろうあくまで人工概念を公理とした上に、はじめて体系を成しているのである。その絶対空間などの人工概念は後にカントとショーペンハウアーなどによって痛烈に批判され、二人とも空間や時間はニュートンのいうような前人間的に絶対的に存在しているものではなく、あくまで人間の直観形式の一つにすぎない、とした。そして真実はニュートンではなくカントやショーペンハウアーのほうにあるだろう。そして20世紀までまつとアインシュタインが哲学としてでなく物理学としてニュートンの体系は大まかな近似にすぎず微小や極大においては古典力学は…

『ドロシーの占い玉』草稿

これはあと2年くらいで完成すると思う。 400~500ページになるかな~。 瀕死の病棟の中、少しづつ書き溜めていました。 一部だけ載せてみます。
ロンド 黒い蛇の首輪をした犬 ドロシー アメジストの首輪をした猫 カプリス アルチュール・ランボーをモデルにしてます ラメント ドロシーの飼い主 美少年
著作権はネット公開の時点で要りませんがコピペして自分のもの化だけはやめて><

「僕にはなぜお父さんがいないの?」  東洋と西洋を結ぶ大陸の内陸部、その北方にある冷たい風の吹き荒れる広大な針葉樹の森、その中心に位置する大きな山の山頂近く、頂上の大岩がやっと見えるようになったというところまで登ってきた親子の狼。母親狼は雪のように真っ白、子供の狼は黒めの茶色や灰色から白にかけての褐色。二人の両側には林立した無数の針葉樹とその間に鬱蒼と茂る雑草の藪がありましたが、二人が歩いているのは数少ない人間の登山客用に開かれた険しい道でした。時間は真夜中。満月の光に青白く照らされた立派な毛並みと深い顔立ちの大きな母親狼、彼女に連れられたまだ1歳に満たない小さな狼が不安げな鳴き声で言ったのです。ずっと優しさと厳しさを兼ね備えた母の大きな背中を見て育ってきた彼の、今までずっとずっと気になっていたのだけれどいつもあと一歩のところで口に出すことのできなかった想い。きっと山頂の大岩の向こうに見える満月が彼の口を開かせたのでしょう。太古の時代から神聖な獣として崇められてきた狼たちは、言葉はもたずとも、鳴き声、表情、仕草で、お互いの心を通わせることに長けていました。白狼はすぐに答えました。 「お父さんは私がおまえを身篭っているときに姿を消した」  落ち着いた低い声で、体の方はまったく歩くペースも変えずに。でも斜め後ろの息子には見えていないその白く美しい凛とした顔には、どこから来るのかさえ分からないような大きな悲しみが深く刻まれていて、それは月光に照らされてさらに浮き彫りになっています。その真実の光が生んだ悲しい陰影を直接見ることのできない位置にいるはずの小さな狼はしかし、母親の答えに言いようのない悲しみを感じて一瞬立ち止まりました。大きな狼はそれに気づいていましたが止まらずに歩き続けます。取り残されそうになった狼は我に帰って急いで追いかけました。  山頂に近づくに連れて木の背丈は低くなり、本数も疎…

ベクトルの微積について

高2の時、数学の授業ではじめて微分積分法を習ったとき、衝撃を受けた。自分は全体的に代数計算はあまり得意ではなく幾何や物理が好きだったのだけど、微積を習ったときにはじめて、数学が本当に素晴らしい驚くべき学問だということを知って、感動した。でも微分積分の計算問題を解くのは大嫌いで、授業はほとんど聞いていなくて、寝たりしながら、微分積分の観念がもっている意味や性質について、思い巡らせるのが好きだった。それで、ある程度計算とかできるようになると、早速、物理の力学や熱学や電磁気学に応用したりしてみた。物理については、それまで個々ばらばらに公式を教えられていて、なんとなく学校の物理の教え方には納得し難い点が多かったのだけど、微積を物理に応用したとき、物理学がこれほどまで美しい体系なんだということを強く実感した。

そもそも、微積とは、動性や連続性を表現している。ある点が時間軸に沿って平面座標を動いていく様、あるいはある面が時間軸に沿って空間座標を動いていく様などが、積分の式に描かれているのである。とにかく高校の時、微分積分について色々なことを考えた。たとえば、xy軸があって、そこに描かれているたとえば曲線Cが、y=a・x・x(aかけるxの二乗。以下、「・」は「かける」の意。)という風に表現されていたとすると、これは、xy座標の空間からみた曲線Cの表現である。Cは「既に」描かれてしまっている。「時間」は死んでいる。ところで、この曲線Cのほかの表現がある。定数aと変数xを使っての方向ベクトル(=dy/dx)を表現し、それを時間軸にそってある点から動かしていき、そのy座標をみる表現方法である。たとえば、方向ベクトルをvベクトルとして、vベクトル=dy/dxとすると(dは微小区間)、y=a・x・xの両辺をxで微分するとdy/dx=2・a・xだから、vベクトル=2・a・xである。この方向ベクトルは、言い換えれば、xの変化に対するyの変化率なのだから、ある時間の間にxが動くと、どれだけyが動くのかを示している。時間軸tを考え、時間がtのときのdy/dxすなわちvベクトルをvベクトル(t)とすると、曲線Cを時間的に表現すると、y=∫vベクトル(t)dt(vベクトル(t)=2・a・t)となる。これが曲線Cの第二の表現である。(高校では、こういう教え方をせず、ただ公式を記号として教…

メタファー的世界観

18か19のときの。(半角カタカナうざくてすいません。あのころ半角のウザさ知らんかったもんで。訂正ちょっとめんどくて……)
  冬のある日、幼い子供が、降ってくる雪をみて、雪を「ちょうちょ」と表現したとしたら、これは一種のメタファーといえる。   具体的な個々の雪と、抽象的な概念や記号としての雪をわけてみる。   フローベルは弟子のモーパッサンに「世界には一つとして同じ木、同じ石はない」と教えたのだけれど、それと同じように、 具体的な個々の雪は、大きさも、色も、それを構成する結晶の形も光の反射の具合も、他の個々の雪とは同じものはない。その全て違うたくさんの個々の雪の類似点を、人間が見つけていくことで、類似のあるいは共通の性質だけが抽象されて、細かい相違点は切り捨てられ、一般的抽象概念としての雪ができる。 前人間的に雪という抽象概念があって二次的に個々の雪があるのではなく、たくさんの個々の雪をたくさん人間が見て知ることによって、人間は個々の雪を抽象しながら雪に対しての、ニーチェ的に言えば一般的な遠近法を‘創出し’、そうやってはじめて抽象概念としての雪ができあがる。子供が、ある雪を「ちょうちょ」と表現するときも、原理的にはまったく同じようなことがおこっている。
「多種多様な物事の中から、類似している点をとりあげ、類似していない点を捨てることによって概念がしだいに形成されて来るかぎり、比喩がその基盤になっている。」(ショーペンハウアー)
  つまり、雪と蝶の性質の類似点(例えば、宙を舞うものという性質)を、子供が見つけ出し、雪のことを蝶と表現した。これは子供がつくった一つの遠近法、解釈法。この場合の過程では「その子供が見た雪」と「蝶」という‘二つの’ものの類似点が見つけ出されて子供は雪を蝶と表現したことになる。抽象的な概念としての雪は、‘大量の’個々の雪の類似点が探され相違点が捨てられて、ニーチェ的にいうと遠近法として、出来上がる。原理的には同じ。 雪のような物的なものに関してでなくても一般的に認識や感覚や心理に関しての概念も同じく、このようなことがいえる。悲しみにもいろいろなものがあってどれ一つとして全く同じ悲しみはないけれど、似たような感情を集め抽象していくことによって、「悲しみ」という名詞に統一される。言語というのは、固有名詞でないかぎり一つ以上の概念と対応していているか…

可能性的思考 想定

身の回りで異変が起こっているとき、常識的な思考回路ではままならないことがよくあるが、そういう時に必要なのが、可能性の想定である。



物事の原因や物事がそうある理由などを常識などによって片付けづに、その原因や理由の確定を保留しながら色々な可能的因子と絡ませて思案していくと、ときに誤った因果関係を結ぶということに陥ることがある。つまり常識的な因果関係のパターンで判断を済ませていたらよいものを考えすぎたために、その物事の実際の因果関係の枠外にある事象を無闇に想起して、不必要な関連付けが起こってしまうのだ。

ところが、世の中には、よくありそうな因果関係を相手に提示して思いこますことによって、自分のやったことの本当は別にある如何わしい理由を隠すという騙すための策術がある。そういう場合においては、誤った因果関係の結成に陥りがちな前述の思案、つまり物事同士の因果関係を常識で即断せずに保留し、可能性を多岐にわたりたくさん思案しておくという思考や判断の形式が功を成す場合がある。なぜなら、相手は嘘でよくある因果関係を表現しながら別の理由を抱えているのだから、常識で即断せずに可能的原因をたくさん持っておくほうが、一に相手の表現した嘘の因果関係の枠外に思考を持っていくという意味において、二に可能性をあちこちに張り巡らせておけば相手の本当の理由や思惑につきあたる可能性が高いという意味において、策術の対策になる。

精神医学と精神工学の実態と倫理 エビデンス

精神分析の源流の言葉
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「たった一人の死に何の意味がある? あるとも。なぜなら、殺人は悪しき行いだからだ。」
 ロールシャッハ
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https://www.amazon.co.jp/dp/4876019096

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1945年あたりに戦争が終わりを迎えると同時期に、アメリカ精神医学が隆盛を極めたことは、医学界では常識とされているが、それまでの精神科というものは、アメリカ精神医学が主流となって以降の向精神薬や抗うつ剤を5分の診断で処方し、さながら工場のベルトコンベア上の製品の欠陥かのように患者の心の痛みと不安を扱う方法とは違い、現代でいうとカウンセリングに近いものが主流であって、連想テスト、作業療法、箱庭療法、環境療法、フロイト式の患者との対話を治療の主軸としていた。それでもどうしても治らない場合のみ、20世紀前半はコカインやジアゼパムのような安定剤を処方されていたと精神分析学や精神医療の歴史は語っている。

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★過去記事より薬の話
https://killslowkill.blogspot.jp/2017/06/blog-post.html

■安定剤
GABA系に作用し神経を安定させる。
・デパス(エチゾラム)
神経に作用する薬で最も多く幅広く処方されている薬。GABA系の神経に作用する。GABA系の神経は、気分を落ち着けたり、緊張をほぐしたり、筋肉の緊張もほぐす作動をする。たくさんの精神症状に効き、効果が強すぎず、抗うつ剤と違って即効性があり、安眠作用もあり、処方実績が多く、高齢者にもよく処方されているほど、効果も、副作用の少なさも、実績に裏打ちされている安全で万能な薬。強度の鬱や不安、強迫障害に効くわけではないが、比較的軽い不安や憂鬱にはよく効く。副作用は量が多くなった時軽いふらつきや眠気程度であるが、依存性が高いことが注意点。
・セルシン(ジアゼパム)
デパスよりやや強い不安軽減作用、筋肉の弛緩査用、デパスより強めの副作用。伝統的なスタンダードな薬ではあるが…

フレイ効果による加害行為の実在性

集団ストーカーで、慣れた被害者であれ加担者や加害組織の成員が不可解な動きを見せることがあり、加担者であればそれにすら無自覚で、あまり集団ストーカーと関係ない人にとってはなおさらのことで、単に職場いじめや近所いじめが起こっているだけのように見えることもあるのが、被害者の強要される自殺すれすれの苦境である。


この不可解さの由縁はいったいどこにあるか。それは、ハイテクノロジー機器の行使である。被害者の半数程度は気づいていることであろうが、音声送信や思考盗聴というものがあからさまに起こっていて、被害者の被害レベルによっては加担者さえ音声送信の事実を明白に知っていることさえある。思考盗聴についてはまだ私がその実在性を科学的かつ実際的に立証する力をもってはいない、おそらく長年の電磁波によるfMRIと似たような反射波の検出、その集積により脳波パターンを搾取しているのであろうが、ここでは思考盗聴に触れずに、音声送信についてのみ言及する。

その方法を列記する。


■フレイ効果による送信
鼓膜より少し奥にある、蝸牛という器官にパルス状の電磁波を当てると、蝸牛内のリンパ液が熱膨張します。その熱膨張が、鼓膜振動が三半規管の仕組みを通してリンパ液を振動させるのと同じなので、音が聞こえます。
*参考ページ 以下はもっと立ち入った音声送信の方法についてのリンク
・NPOテクノロジー犯罪被害ネットワーク 幹事 川崎様のブログより
http://mkawa.jp/blog-entry-720.html
・ウォーカー様のブログより
https://ameblo.jp/walker-memo/entry-12288171566.html
・soundtran(microwave)という資料より
http://jrpicard.justhpbs.jp/onsei/sum/soundtran(microwave).pdf
・WIREDより https://wired.jp/2008/07/08
・「フレイ効果、マイクロ波聴覚効果など」より
http://kokoronokoe3.ninja-web.net/MyHome5+1/tokkyodennjiha.htm



■指向性スピーカーによる送信
特定の人のみの方向に向かって鋭い音を聴こえるか聞こえないかの音量で放つ。
(こちらは単に方向性をもたせた音響装置とい…

ギリシャ神格の実在性 オルフェウス

オルフェウスはまさに音楽家であった。7弦だったか9弦だったかの竪琴を弾いて、自分の悲しい恋を歌い、人だけでなく動物や森や精霊までも魅了していった、数千年前の比類なき音楽家である。その神がかりの悲しい音楽は冥府にいる女神ペルセフォネをも魅了したといわれている。ここでは神話や伝説について語ることが趣旨ではないので、別の面に目を向けると、オルフェウスは実行家ではなく芸術家あるいは幻視者であったということだ。彼は言い伝えにより後世のあらゆる人に信仰されていったものの、彼が生きている間はそれほど人の耳に彼の音楽が入るという機会は彼の音楽的才能の割には少なかったと思われる。一人で恋を歌い奏で、幻視で冥府にいき、森の中で恋人を想ったという、そういう人物である。文明的天才というよりはあきらかに文化的天才というにがふさわしく、彼の死後はオルフェウス教というものが発生したが、彼が生きていた時代に彼が多くの人から信仰されていたという事実は文献上にはない。少数の人に圧倒的支持を受けながら孤高を守りながら森のなかで音楽を奏でていたのがオルフェウスである。


ではディオニュソスとは何者か。彼は音楽の精神はもちろんもっていたであろうし、ニーチェがその勘違いして誤ったディオニュソス的の定義において音楽的精神の代表とされてはいるものの、ディオニュソスはどちらかというと音楽よりも実行の方にその資質を傾けた人物である。文化的天才、文明的天才、というよりも宗教的天才といったらいいものか。彼が存命の間にすでにディオニュソスを信仰する人たち、とくに神経病の女性たちに、圧倒的なカリスマをふるい、熱烈な支持を受け、大量の飲酒を交わしながら残虐な宴会を開くことを夜な夜なの日課とし、世界を旅した人物である。そして性格についていうとオルフェウスが繊細で悲しくて物憂い人物であったのに比較すると、ディオニュソスは破廉恥で大胆で残酷で自信家で行動的で激しい、そういう形容がぴったりな人物であろうと思われる。彼の場合は、音楽によって人を魅了するのではなく、いわば自分自身が音楽となって、恐るべき覇気を纏い、雰囲気と言葉と挙動だけで各地の人々、とくに神経病の女性を魅了していった、そういう野蛮で強烈な存在自体が暴力的芸術作品として、各地の人々の噂の種となった。ディオニュソス信仰はギリシャ神話以後だけでなくギリシャ神話ができる以前から既…

神経新生について

神経新生というのは、脳疾患であったり電磁波過敏症であったりと、神経が脅かされている人にとっては、かなり朗報なここ10年ほどの研究での発見である。まず、以下の記事を見て頂きたい。

Gigazineより
http://gigazine.net/news/20151127-grow-brain-cell-neurogenesis/
>人間の脳を構成する「ニューロン(神経細胞)」は、電気信号を発して情報をやり取りすることで
>認知・運動・感情・記憶・学習といった高度な情報処理が可能になります。
>この神経細胞は脳内に何千億個も存在すると言われており、「大人になると神経細胞は減り続ける一方」
>と考えられていました。しかし、実際には大人になってからも
>脳内で新たな神経細胞が生まれる「神経新生」という現象が起きており、
>これは人間の行いでコントロールすることも可能です。



神経細胞というのはニューロンとして成体の神経細胞になってしまえば、細胞分裂しないので、また神経細胞はかなり化学的に繊細な細胞でありその連関も常に破壊と紙一重の儚い組織とされていて、昔から西洋医学でも家庭の医学でも一度失われてはもう戻らない大切にすべき命の蝋とされていた。しかし、1998年のエリクソンとケージの研究の成果によって、類人猿で海馬やその付近で神経新生が起こることが実験から実証され、ちょうど21世紀になっての脳科学では神経新生は定説と見なされるようになった。

まず、神経細胞は、軸索や樹状突起をもつ成体ニューロンになる前は、いわば卵の状態の神経幹細胞という様態であり、これは細胞分裂が可能で、実際に理研によると以下のことが日本の科学界や公の資料として公開されている。

理化学研究所より
http://www.riken.jp/pr/press/2016/20160830_1/
>成体の脳には神経幹細胞は存在せず、新たな神経細胞は産生(再生)されないと考えられてきました。
>しかし成体でも、脳の限られた領域(側脳室周囲―嗅球[3]および海馬[4])でのみ神経新生が一生涯に
>わたって起こることが、近年、明らかになりました。

海馬や側脳室周囲~嗅球では、神経幹細胞の生成や分裂が比較的盛んに起こっているため、この幹細胞の増殖を促して成体ニューロンにまで育てる…

記憶の場所は地獄からの訴え

5年ほど前に365日の集団ストーカーが始まる直前にFacebookに投稿した文章をまず掲載します。
(その後で、マインドコントロールや人間操作について思うところを書きます。)

----------Title------

 Where is Memory?

----English--------------------------------------------------

(The following is not based on firm evidences but a result of my intuition.)
(And I'm sorry my English is sometimes wrong or too poor to describe abstract affairs such as the following.)
(Here I mean by the word Memory not memorizing but memorized contents.)

Generally, scientists and modern people under their theories think of Memories as being stored in a Brain, but I don't think that. I think, though a brain have the function of taking in the images of things which the nervous system perceived and the function of recalling these images, it don't have the function of a storehouse. Likening memories into water, a brain have roles of watercourses and valves but don't have the function of a water tank.

Well then, Where are memories stored. But there is a nonsense in this question. Tha…

自作曲 集団ストーカーと関係ありそうなもの

集団への思考送信を曲にしてみました。



  怖い被害を謳にしたので未成年の方は閲覧注意です。



都市の集団ストーカー機構から解き放たれたい! スカイG

彫刻刀、買いました

初めての作品? 板を刻んだだけ。


三代目雀九郎より
https://twitter.com/junk60998248
人間性と共同体の健全な維持を滅亡と死に導くもの。それらに生存をかけて批判と撲滅の態度を以って関心事とする。諸々の事柄についての正義と道義の面において、深刻さ由来の生の過剰により、人の在り方の痛烈を直覚的に把握、生を真実の彫刻で浮き彫りにする。メスでは足りない。骨まで彫刻刀で刻め。

人工知能によるシステム化と人類の本能

IBMにしろFacebookにしろ、スーパーコンピュータをはるかに上回る演算能力を持った量子コンピュータや、ブレイン・コンピュータ・インターフェイス(以下BCI)の技術など、Wikipediに詳細が乗っていないし図書館にさえほとんど見つからない最先端技術の公開や商用化に手をこまねいている。とくにIBMの場合は他の注文型のPCメーカーよりもはるかにユーザーに対するモニターという消費者とその利用法を、商品開発のために役に立つアルゴリズム開発に活かしているということで有名だ。要するにITやテクノロジーの世界的大企業にとってみれば、利用者のPC活用時に使う頭脳とタイピングやマウス操作するときの指が、製品開発のためのプロトタイプといってもいいほどの実験的モニターとなっている。まだ製品開発のためといったら夢のある話であるが、当然のことながら民間に商用化されるものだけがテクノロジーではない。むしろ商用化というのはテクノロジーのほんの小出し程度のものでしかなく、経済や政治に対する支配力という面では、利権追及と軍事利用がテクノロジーの最先端が走るところといっても過言ではない。元々、インターネットも戦時中の各部署や各兵士との連絡手段として開発されたものであり、話題となっているFacebookの思考内容を文字化するBCIの元祖も、数十年前にたどれば、1970年代にアメリカの軍事関係機関が特許を取った裏切りや暴動を起こしうる兵を取り締まるための広範な脳波スキャンに由来する。

参考 FACEBOOKの思考言語化ツール開発
http://jp.techcrunch.com/2017/04/20/20170419facebook-brain-interface/

スマートフォンで夢みたいな技術が公開され利用されているが、それはGoogleやAppleのほんの一部の技術の公開でしかなく、アプリ開発企業やゲーム開発企業については大企業が公表しているライセンスの流用と応用でしかない。先進国の軍事的支配への欲望と、大企業やパワーエリートの独占的利権追及を考えるなら、最先端技術というのは彼ら権力者と一部の研究機関にしか属さないものであり、日本で有数の研究所である東大や京大、理化学研究所でさえも、ユダヤ金融、フリーメイソン、アメリカの国際的エリート、ドイツの権力者たちが設営している研究内容が非公開の黒い研…